佐野日本大学高等学校ラグビー部

          このブログは、佐野日本大学高等学校ラグビー部を全面的に支援するために立ち上げたブログです。

2012年03月

内容、個人情報上問題がある場合・学校及び、ラグビー部の名誉を傷つける事象が発生した場合、即座に削除又は支援を中止しクローズする事をご了承下さい。

Rugby Football Club History

究極目標

 自己の成長 【自立型人間を目指す!】 
チーム目標
 花園出場を目指す!

 平成元年(1989年)4月一人の少年が入学した。
行田西中出身の川口少年である。
彼は、中学時代ラグビーと出会い熱中し
7人制ラグビーにおいて関東を制覇した経験を持っていた。
佐野日大の歴史上
過去において、同好会もしかすると部として存在していた時期も
あったのかも知れない。
しかし、彼が入学したときには今のラグビー部に
繋がるものは何も無かった。
1年生であった彼は、クラスの仲間2人といっしょに声を挙げたが
当然、顧問や監督の準備が無く
創部するには、まだ尚早であった。
熱意も冷め、そして諦めたかに見えた。
自分たちの知らないところで、静かにラグビー部誕生の日が近づいていた。

 翌年春、ラグビー経験者である松島先生が着任されたことを切っ掛けに
生徒達の心に小さな希望の火がもう一度灯された。
1年生の時から”何とかラグビー部を立ち上げたい”との思いを
聞いていただき相談に乗って頂いていた斉藤先生にも
この時も 影で支えていただいた。
3人の熱意ある仲間と先生達との偶然の出会いが
更に偶然を生み、ゆっくりと確かに
ラグビー部創部への時計の針が動き出した。
そして1991年春 佐野日本大学高等学校ラグビー部が誕生した。

現在に至るまで、人に言えること・言えない事
苦労された話はいくつもあるだろう。
仮に、1991年4月1日を起点とし
初の決勝戦出場を一つの節目とするならば
2013年11月09日は、8258日におよぶ昼と夜を向かえるにいたり
この日は、多くの関係者と共に歩んだ歴代部員達の
「努力の汗と涙は必ず喜びとなる」と信じた宿願達成の日でもあった。
我々佐野日大ラグビー部は、決勝のフィールドに立ち
その景色を眺めたことで我々の一つの目標は達成した。
2013年11月09日13:00決勝戦開始のフォイッスルは
新たな目標達成に向かう為の開始の合図でもある。
セカンドステージに向かうことを指し示すもの
それは、ラグビー部の掲げる目標、”花園出場!”
個人個人の思い”みんないっしょに勝ち続けるチーム!”

ラグビー部歴史の道は、これからも永く綴られていく

佐野日大ラグビー部は、決して保守的であってはならない。
常に柔軟性を持ち行動的でなければならない。
同じ事をしていても常に力強く、生き生きとしていなければならない。
チームは新しい血を入れることに寛容であり、自身を刺激しながら
成長し続けなければ成らない。

1993年11月23日日刊スポーツ北関東版 (2)

1991年 4月  創部
2011年 4月 藤掛三男教諭 監督就任
2012年 6月  第60回関東高等学校ラグビーフットボール大会_初出場
2013年11月 第93回全国高等学校ラグビーフットボール栃木大会_決勝初進出(準優勝)
2013年11月 応援旗2枚がラグビー部に学校から贈られる。
2014年 2月 平成25年度県下高等学校ラグビーフットボール新人大会_決勝初進出(準優勝)
         平成25年度第14回関東高等学校ラグビーフットボール新人大会_初出場
         (決定後、大会中止)
2014年 5月 平成26年度県下高校総体兼関東高校ラグビーフットボール大会_初決勝進出
2014年 6月 第62回関東高等学校ラグビーフットボール大会_出場(2回目)
2014年 6月 平成26年度第1回全国7人制ラグビーフットボール栃木大会_準優勝
2014年11月 平成26年第94回全国高等学校ラグビーフットボール栃木大会決勝進出2回目(準優勝)

2015年 1月 平成26年度県下高等学校ラグビーフットボール新人大会_決勝進出2回目(準優勝)
2015年2月 平成26年度第15回関東高等学校ラグビーフットボール新人大会2度目の選出(初出場)
2015年3月 照明5基が設置される。
2015年 5月 平成27年度県下高校総体兼関東高校ラグビーフットボール大会_決勝進出(2年連続)
2015年 6月 第63回関東高等学校ラグビーフットボール大会_出場(2年連続3回目)Cグループ
                    対専修大松戸戦初勝利・対慶応義塾戦初同点優勝
2015年6月 平成27年度国体ラグビーフットボール(少年)県下予選_決勝進出
2015年6月 H27年度第2回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会県下決勝進出2回目_初優勝
2015年7月 H27年度第2回全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会初出_全国9位
2015年11月平成27年第95回全国高等学校ラグビーフットボール栃木大会決勝進出3回目(準優勝)
2015年12月 U18花園女子15人制に1名出場(前年女子セブンズに出場)
2016年 1月 平成27年度県下高等学校ラグビーフットボール新人大会_決勝進出3回目(準優勝)
2016年2月 平成27年度第16回関東高等学校ラグビーフットボール新人大会3度目の選出(2回目)
2016年4月 第5回全国高等学校選抜女子セブンズラグビーフットボール大会(合同チーム2名出場)
2016年4月 サニックスワールドユース交流大会女子セブンズ(合同チーム2名出場)
2016年 5月 平成28年度県下高校総体兼関東高校ラグビーフットボール大会_決勝進出(3年連続)
2016年 6月 第64回関東高等学校ラグビーフットボール大会_出場(3年連続4回目)
2016年 6月 平成28年度国体ラグビーフットボール(少年)県下予選_決勝進出(3年連続3回目)
2016年6月 H28年度第2回全国高等学校7人制ラグビー大会県下決勝進出3年連続3回目(準優勝)
2016年11月平成28年第96回全国高等学校ラグビーフットボール栃木大会決勝進出4回目(準優勝)
2017年 1月 平成27年度県下高等学校ラグビーフットボール新人大会_決勝進出4回目(準優勝)
2017年2月 平成28年度第17回関東高等学校ラグビーフットボール新人大会4度目の選出(3回目)
2017年 5月 平成29年度県下高校総体兼関東高校ラグビーフットボール大会_決勝進出(4年連続)
2017年 6月 第65回関東高等学校ラグビーフットボール大会_出場(4年連続5回目)Cグループ

監督のメッセージ

木本健治_元早大監督

   一枚の写真   師との出会い
               
                                 藤掛 三男


                          ~佐野日大新聞掲載記事抜粋~


 
 この写真は故 木本健治前早大ラグビー部監督が亡くなられた際、
産経新聞に掲載された木本さんと私のツーショット写真
(OBになってから訪れた早明戦の前日のスナップ)で
今でも大切にしているものである。
そしてこのときの記事が下記の文章である。


『勇気を第一に教え』


1996年が終わる大晦日の告別式。
奥島孝康・早大総長は「早稲田ラグビーの最大の功労者である君こそ、
勇士と呼ぶにふさわしい。95年9月に亡くなった大西鉄之祐先生は
2つの偉大な側面、理論とカリスマを持っておられた。
その理論を受け継ぐ人は多いが、
君はカリスマで先生と並ぶものを持っておられた。」と弔辞を贈った。
大西先生とは、ラグビーの日本代表元監督で日本選手にあった
「展開、接近、連続」理論を掲げ、強豪ニュージーランドの
ジュニア代表を破った指導者だ。
木本さんは大西先生の愛弟子であり、母校の低迷がささやかれるたびに
3度の監督を務め、輝かしい戦績を残した。
卓越した理論と厳しい指導から名付けられた「鬼のキモケン」。
そのカリスマが不動になったのは2度目の監督時代から。
87年度の早大は関東大学対抗戦”雪の早明戦”や大学選手権決勝で
同志社大に勝ち、日本選手権で社会人チャンピオンの
東芝をも破って日本一になった。
 この年、木本監督は1年生選手3人を1本目(1軍)に起用した。
なかでも3軍にいた藤掛三男をフォワードの
フランカーからバックスのセンターに転向させての抜てきに、周囲は驚いた。
この新人はパスは放れず、ボールは正確に蹴ることが出来ない。
ただ体を張って相手を倒すタックルだけは強烈だった。
 この新人センターが試合に出るたびにタックルを見舞った。
対同大戦の後半30分過ぎ、相手バックスのオープンプレーが
ゴールラインに迫ったとき、一発のタックルは
相手センターをあおむけになぎ倒して勝利を呼び込んだ。
対東芝戦でもその力が存分に発揮され、
木本さんは「藤掛には『ほかのことはやらなくてよい。
ただタックルせよ。』とだけ言った」と語ったものだ。
 木本ラグビーはタックル、そして守りから始まった。
体の小さな選手の多い(早大)チームが大きな相手と戦うには、
守る側に許された唯一の攻撃手段、タックルしかない。
点数をやらずに守り抜き、勝機を図る。不可欠なのは勇気だ。
これは自分で磨き、研ぎ澄ますことができる。・・・
というものだった。この考えは日本ラグビーに通じ、
さらに人間の生き方にも当てはまるように思う。
「病気が治ったら、またグラウンドに立つ」。
病院で点滴を受けながら歩行訓練を続け、早大の戦いぶりを
テレビで分析していた鬼のキモケンを支えたのは、ただただラグビーだった。
が、15日の大学選手権決勝・早明戦を見ずに逝った。
(1997年1月13日 新聞記事抜粋)
 私は、これまで、たくさんの人との出会いによって成長させていただいたが、
中でも大学一年時の木本健治監督との出会いは大変大きなものだった。
スポーツライターの藤島大氏はかつて優れたスポーツ指導者に共通する点として
”知”(知的さ・知識・理論)と”熱”(情熱)と
”愛”(愛情・人を本気で愛せる能力)と言っていた。
木本さんはまさに、これらの部分をすべてを持つカリスマ的な指導者であった。
木本さんは必ずしも話し上手ではなかった。
しかし大人数の集まるOBのパーティーなどで木本さんが話すときだけは
会場がシーンとなってすべての人が話しに聞き入った。
多くの新聞記者が木本さんの話を聞いているうちに感動して涙を流した。
そういう伝説が残るほど言葉に重みや深みがあった。
 横河フューレットパッカード社の人事部長と早稲田大学ラグビー部監督という
二足のわらじを履き、文字どおり文武両道を実践した木本さんであるが、
会社のことを引き合いに出してよく言っていたのは、
『創造性を持って物事に取り組まないで、伝統に胡座をかいていたら、
会社だったらすぐ潰れる。たとえ成功した後でさえ、それを時には
リセットしてでも新しく創造していくことが大切なんだ!』。
その他にも印象的な言葉を数多く残しているが、
木本さんが我々に伝えたかったことをいま自分なりに考えてみると
『どんな時でも常に前向きに失敗を恐れず、挑戦し続けなさい!』
ということだったのではないか。
一度しかない人生。
生きざまで多くのことを教えてくれた恩師のために、
私自身も日々、挑戦していきたい。

                        ~佐野日大新聞掲載記事より抜粋~

部 紹介

究極目標

 自己の成長 【自立型人間を目指す!】 
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