佐野日本大学高等学校ラグビー部

          このブログは、佐野日本大学高等学校ラグビー部を全面的に支援するために立ち上げたブログです。

2015年10月

内容、個人情報上問題がある場合・学校及び、ラグビー部の名誉を傷つける事象が発生した場合、即座に削除又は支援を中止しクローズする事をご了承下さい。

第2報_第95回全国高校ラグビー大会栃木県予選第1戦

2015年10月31日 本校 対 宇都宮高等学校 
 
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尚、練習画像(携帯電話画像等でも可)撮られているご父兄の方が
 おられましたら、blue7sky@kme.biglobe.ne.jpまで是非ご投稿下さい。続きを読む

第1報_平成27年度第95回全国高校ラグビー大会栃木県予選

10月31日(土)晴天の中、第1回戦が栃木県総合運動公園に於いて
予定通り実施されましたことを速報ご報告いたします。
第1回戦: 場所:栃木県総合運動公園

 本校 128 対 3 宇都宮高等学校

第1回戦勝利により、2014/11/7 11:00栃木市総合運動公園陸上競技場に於いて
次戦を行います。対戦校は、佐野高等学校です。
”佐野日大PANTHERS” に、ご声援を宜しくお願いいたします。

傷だらけの栄光

↓ 下記は、リンクテーブルです。クリックにて確認ください。↓


秋の深まりと共に、今年も花園予選がやってくる。
選手・父兄・関係者
一人一人が、色々な思いで試合当日を迎えることだろう・・・
 
 そんな日の夕暮れ、友人とのたわいも無い会話を楽しんでいた。
互いの記憶の断片でしかない昔話の真偽を知るには、あまりにも長い歳月が過ぎてしまった・・・

 昨年11月、埼玉県で巨星が消えた・・・ 故:吉沢敏雄氏である。
1968年選抜高校野球大会優勝の大宮工業高校(略称:宮工)を埼玉県初優勝に導いた
埼玉県野球の父ともいえる故:山崎小二郎監督に率いられた選手達は
当時、憧れの存在であった。
その筆頭がエース吉沢敏雄氏であったのである。
当時、前評判が決して高いとは言えなかった郷土の高校が
今度は負けるだろうと言われながら
毎試合、優勝候補と言われる対戦校を逆転に次ぐ逆転で勝ち進む姿に、
皆が我ことのように沸きテレビに釘付けとなった。
同時に優勝するまでの道のりは、報道や口伝えによりいくつもの逸話を生み伝説となった。

前年秋から痛めていた肩を酷使しながら痛みに耐え甲子園のマウンドに立ったのである。
優勝候補の平安高校と準々決勝を戦った時、更に不運が襲い掛かる。
風邪薬とひじの痛み止め薬の副作用で40度近い高熱を発しながら
マウンドに立つ最悪の状態であった。
何度も監督からの代わろうという言葉を振り切り
 吉沢氏は腕が折れてもいいから平安を倒したいと続投を願いでた。
これまで戦ってきた仲間・監督でさえも、この強い意志をだれが止めることを出来ただろうか
試合後、病院に運び込まれた・・・
翌日、準決勝の箕島高戦に病院から、ふたたびマウンドに立ち投げ続ける姿があった。
打線の逆転劇で2点リードしたものの9回2死二、三塁のピンチで4番・東尾 修氏に回る。
ベンチに呼ばれても、自分の意志が変わることは無かった。
敬遠するべきところを配球を駆使し真っ向勝負した。
決勝の尾道商戦 満身創痍であっても彼は目前の試合に悔いを残さぬように
投げ続ける姿勢を貫き一球一球に集中した。
優勝後の閉会式行進では、腕が上がらず優勝旗を引きずるようにして持っていた。
そんな、多くの逸話が半世紀になろうとしているのに多くの者の心に残っている。

彼の3年間の高校生活での文の能力と努力は、武に負けぬ力を発揮した。
慶応大学に進学され、6大学野球の舞台に登場されたのはエースとしてではなく、
名サードとして姿を現し慶応大学黄金期を支えられた。
大学野球が盛んなこの時代に東京6大学ベストナインに選ばれ、
第一回日米大学野球大会代表にもなられた。
常に”初めて”というキーワードが付いて回る方であった。
ドラマ以上にストーリーを持った青春である。
しかし、友人の話はそれだけでは終わらなかった。

全国大会初出場初優勝・埼玉県勢初の栄光は、
そのまま”母校の誇り”となった。
新入生が入学すると我先にと真紅の大優勝旗を一目見ようと誘い合い、
文化祭になると、生徒の希望で食堂に設置されたテレビ画面で
全国大会1回戦から優勝までの録画が流された。
食堂に入りきれない程の満場の生徒が、今行われてるかのごとく
歓喜し応援するのが10年の歳月が流れても
変わることない毎年の恒例の風景となった。
当時を知る先生方は、10年近く経っても朝から晩までの厳しい練習の他に、
誰に指図されなくても朝校庭を黙々と走り込む姿を語り
又、学年でもトップクラスの学力を維持していた彼の思い出を、
新しく入学するものに授業の合間に伝え話した。

東京ガスに入社し、社会人野球で活躍されていた頃であろうと思う。
高校を卒業した6年後位であったろうか
母校が夏の全国大会予選準決勝を勝ち上がった頃であったらしい。
「もうそろそろ、再び全国に行っても良いのではないか」と、
激励に来られた。
自分の原点を決して忘れてはいなかった。
優勝のときに持ち帰った、自らの思い出の甲子園の土を
九つのポジションに
後輩達と共に願いを込めて散布する姿があった・・・

卒業する一般学生は、やがて家族を持ち子供が生まれる。
我が子が大きくなると、我が子に語る。
皆の心に育った小さな誉れを語る。
お父さんの通った学校は、
「埼玉県で初めて全国優勝した学校なんだよ」と・・・
子供達が更に成長し、やがて高校に進学する。
一緒のクラスになった子供同士が
雑談で父から聞いた話をふと口にすると、
「俺も父から同じ話を聞いた」と言われる。
いつか、どこかで繋がる偶然を知る・・・
半世紀近くも色あせずに語り継がれる栄光

現代であれば、肩を壊し将来を潰すのかと
叱られるかも知れないエピソードであるが、
彼の”今を全力で戦いたいという姿勢、その価値観”
そして、アマチュアスポーツの素晴らしさ
自ら不屈の闘志を見せることで自然に
周りの人間をひとつにまとめあげてしまう人間力は、
数え切れぬほどの憧れた10代の子供達に
影響を与えたのは当然なことである。
現実では欠点も持ち合わせたていたのだろうか
仲間と一緒に努力して成長していく過程、そして成功・・・
18歳の青年達の煌めきは、当時”傷だらけの栄光”と称えられるに
ふさわしいものであった。

戦う場所を栃木に移し、競技をラグビーに代えフォーカスした時、
佐野日大ラグビー部にも同じ挑戦が待っている。
ラグビーの世界では、海原に落としたコインを拾うよりも
難しいことなのかもしれない。
しかし、全国大会初出場初優勝を疑いなく純粋に目指している姿を被らせ
一回戦から全力で戦う姿を佐野日大ラグビー部に見るとき
”君達にだって出来るんだ”と心につぶやきながら
少年の日の眼差しで、試合の観戦をしている自分に出会えると思うのである。

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