前にも書いたことがあっただろうか
何年前のことだろう・・・
我が子に聞いた
さして理由もなく聞いた
お前が見てきた中で、
「佐野日大の最高のキックの名手って誰だろうか」
1年生の時から3年間キックを任された大内 兄(現帝京大学ラグビー部)・・・
それとも、2012年当時、国学院栃木高校と対戦し大量得点されながらもセンター右サイド付近から
のロングキックを決めた安藤 兄だろうか
いや、3代前の原口君(現立命館大学ラグビー部)か
それとも現役で頑張っている中の部員の名前があがるのかと
そして、耳を傾けた。
「やっぱり、前田 兄さんかな」と言う。
藤掛監督就任前、たった5人のラグビー部として話題に取り上げていただいている。
4人の1年生が入部する前、3年生が卒業して一人ぼっちのラグビー部員になっていた。
その人である。
ラグビーの試合の点数に関係なく、仲間(後輩)と試合が出来る事を喜び
楽しんだ青年だった。ラグビーの本質を分かっている一人だったと思う。
紆余曲折しながら、15人がやっと集まり試合に出たが経験もなく
中々、勝利の味を知るには時間が掛かったのは皆が知るとおりである。
それほど体も大きくないけど、正確なキックでロングキッカーだったんだと言う。
栃木県の中でも凄かったと言いきる。
しかし、試合の中で披露するチャンスはそれほでに多くなかったはずであり、
私達の記憶に留める事は、残念な事に無かった。
それは、事実なのかどうなのか確かめる事も出来無い。
しかし、引退した卒業まじかの新人戦・・・
競技場のスタンドのベンチに置いてあった後輩たちのスポーツバッグを
応援に来た人の邪魔にならないように落ちそうなくらい、いくつも一人で持って
スタンドの横に何度も足を運んでいた姿があった。
きっと数人でしかラグビーの練習が出来なかったから、
少しでも長く、ずっと後輩たちといたいし
何かをしてあげたいと思っていたのだと誰の目にも分かった。
その当時の後輩たちは言う。
この先輩がいなかったら、続けていなかったかもしれない。
私が見た藤掛監督就任後初めてのキャプテンの思い出である。
今も大切にしている伝統の”和”の佐野日大ラグビー部の過去の1ページである。 
誰が最高のプレーヤーであるかなど愚問であった。
私達にとっては、皆が必死になって戦う姿全てが最高と思えるからなのだ・・・
今、創部当時の部員の子供さん達が徐々にであるが
入部してくれる頃になった。
少しずつでいいから歴史のページを更に書き換えながら、
どのように技術と志を高め進んで行くのか
PANTHERSの草魂の行方を皆で楽しみに静かに見守りたいと思う。
創部から佐野日大の精神と歴史をつなげ創りあげてくれた
多くのOB達に感謝しようと思う・・・・・
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1991年1月26日頃の新人戦
初めての公式戦と思われます。地元紙掲載記事抜粋させていただきました。
1991年1月26日オープン参加初勝利
1991年10月頃と思われます。
1991年10月19日創部年花園予選2
1991年10月19日創部年花園予選1
1991年10月19日創部年花園予選3